
最近、街から書店が減り、言葉がスマホ一つで瞬時に調べられる 「無料の記号」になっていく景色を見て、 どこか寂しさを感じるようになりました。
指先ひとつで正解が出る便利さと引き換えに、 言葉が本来持っていた重さや温度が、 少しずつ失われているような気がしたからです。
これまでの僕は、 現場で汗を流し、大家族の父として、 それなりにうまく世の中を渡ってきたつもりでした。
難しいことは笑って誤魔化し、 不都合な感情は「ノリ」や「ジェスチャー」で流す。
言葉を深く考えることなく、いわば「だましだまし」使いながら、生きてきました。
けれど、ある時ふと気づいてしまったのです。
僕はこれまで、言葉を「伝えて」いただけだった。
相手の心に届き、深く響く「伝わる」言葉を、 自分は一語も持っていなかったのではないか、と。
その恥ずかしさと、 だましだましでやり過ごしてきた人生への後悔で、 胸がかきむしられるような思いになりました。
「伝える」と「伝わる」の間には、 深く暗い海があります。
思いを投げるだけの「伝える」とは違い、 相手の心に着岸するまで寄り添う「伝わる」言葉を編むには、 気の遠くなるような時間がかかります。
効率や即金性が叫ばれる今の世の中で、 それはあまりに愚直で、不器用な営みかもしれません。
それでも、 誰かと本当の意味で繋がるためには、 その時間を惜しんではいけない。
50代になった今、 僕はようやく、その入り口に立てた気がしています。

だから僕は、 自分自身の言葉を 「書く、紡ぐ、編む」ことを ただ、心がけていきたい。
ただ事実を記号として並べる「書く」。
それだけでは、誰の心にも寄り添えません。
現場で流した汗も、 家族と囲んだ食卓の笑い声も、 情けない後悔も、 すべてを一本の糸にするために「紡ぐ」。
そして、その糸を丁寧に組み合わせ、 暗い夜の海を渡る誰かのための 「舟」になるように「編む」。
その舟の中で、 凍えていた言葉が、 読んでいるうちに少しずつ温かくなる。 そんな言葉を届けられるまで、 この三つを、何度でも繰り返したいと思いました。
そういえば、ここまで書いてきて,
僕はまだ 「舟を編む」という物語そのものには、 ほとんど触れていませんでした。
あの物語に出てくる人たちは、 誰かに評価されるためでも、 早く結果を出すためでもなく、 ただひたすら言葉を集め、確かめ、 時間をかけて編み続けます。
海に浮かべるための舟を、 十年、二十年という言葉さえ、 次第に意味を失っていくほどの時間をかけて。
けれど、その舟も、 完成した瞬間から、少しずつ古くなっていく。
波に削られ、風に晒され、 手入れを怠れば、やがて沈んでしまう。
言葉も同じです。
使われ続けるうちにすり減り、 役目を終え、静かに消えていく言葉がある。
そして同時に、 まだ名前のない感情のために、 新しい言葉が生まれていく。
「舟を編む」という物語は、 舟を完成させる話ではありません。
古くなった舟を直し、 使えなくなった言葉を手放し、 それでもまた、新しい糸を探して編み直す。
終わりのない、その営みそのものの物語です。
そして、その舟は、 編んだ人だけのものではありません。
迷い、立ち止まり、 言葉を失った誰かを、 そっと乗せるための舟でもある。
見返りを求めず、 誰が乗るかも分からないまま、 それでも編み続ける。
それは、 自分の思い込みや「だましだまし」のノリという檻から、 静かに自分を解き放つ行為でもあります。
相手の言葉に耳を澄まし、 その存在を、そっと身を委ねるための 心の余白を残しておくこと。
僕が思う自由とは、 単に好き勝手に振る舞うことではありません。
誰かと本当の意味で繋がるために、 自分の場所を少し空けておけること。
その余白を持ち続けること。
それが、僕にとっての自由です。
僕はまだ、 言葉を知らなすぎる人間で、 美しい言葉を使いこなせる人間でもありません。
それでも、現場で流した汗も、 家族と過ごした時間も、 失敗や後悔も、 すべてを一本の糸にして、
古くなったら編み直し、 それでも誰かを乗せ続けられるような 小さな舟を、編み続けたい。
もし今、 言葉の海で立ち止まっている 「あなた」がいるなら、 このまだ未完成の舟に、 少しだけ身を預けてほしい。
僕もまた、直しながら、編み直しながら、 この言葉の海を渡っている途中だから。
舟を編むことに、終わりはありません。
だから今日も、 僕は舟を編む人でありたいと願いながら、 言葉に手を伸ばしています。

今回ご紹介した物語:『舟を編む』
僕が「言葉」と向き合うきっかけをくれた、大切な一冊です。
言葉の海を渡るすべての人に、ぜひ手に取ってほしいと思います。
【書籍・文庫版】
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